しんみりと

 

 先日のレッスンで興味深いことがありました。

4年生のある人と「むかしの歌」という題の曲を見ているとき、楽譜の始めには、普通ならテンポを示す表示記号のあるところに「しんみりと」と日本語で記されていました。私が彼に「しんみりとってどんな感じだろう」と問いかけると「全然わからない」とのこと。質問を替えて「この曲はむかしの歌と書いてあるけど、○○くんにとって、昔っていうと何が思い浮かぶの?」と聞けば「昭和時代」と言うのです。おー昭和時代ね。ふむふむ。「その昭和時代ってあの大きな戦争があった時代のこと?」と私が応じると、彼は「あのすごいバンド、クイーンって人達がいたでしょ?」というではありませんか。この子の家庭にはクイーンを聴くカルチャーがあるんだ・・と思いを巡らせていると「昔のクイーンの映像も音楽も聴けるけど、あの歌の人はもういないんでしょ・・・」と言葉が続きました。「そうね、若くして病気で亡くなったね。」と答えると、「それは・・なんか・・さびしいね・・」と。

「その「なんか・・さびしいね・・」がこの曲のしんみりとていう感じかな。」と改めて弾くのを促すと、まるで別人が弾いたかのように演奏が変わったのです。心動かされる瞬間でした。

(2023年10月)


お薦めの本

 

 この夏の暑さの厳しかったこと・・・・

こんなに暑くても、長い夏休みにはたくさんの宿題をする日本の子ども達はえらいなあ、と思います。4年ぶりに行ったフランスでは、宿題なんか全くない中学生の姪っ子ちゃんがひたすらサーフィンをしていたこと、周りの大人たちも一緒になって遊んで遊んで飲んで。みたいな生活をすることに、後ろめたさとか疑問もなく数週間も楽しむ様子を目の当たりにして、分かっているつもりでしたがカルチャーショックでした。人にとって何が良いのか、またわからなくなりました。

さて、フランス滞在中は仕事や練習から解放されるから、と、いつも本を3,4冊持って行きます。

今回一番良かった本は ひのまどか著 『バッハ』YAMAHA出版

10歳から読めるクラシック入門書というサブタイトルだったので気軽に手に取ったのですが、確かに、表現が易しくて描写もドラマチック。全くバッハを知らなくてもバッハの人間的な魅力にテンポよく引き込まれます。

でもこの本のすごいところは、書き出しにメンデルスゾーンが登場すること。ライプツィヒで埋もれていたバッハの楽譜を探し、この街でバッハがどれほどの素晴らしい仕事をしたか、全く市民に忘れ去られてしまったいることに落胆し、それらを甦らそうと復興に尽力を注いだ様子が描かれています。メンデルスゾーンは名曲を数多く残した作曲家ですが、バッハの幻の名曲『マタイ受難曲』の復元演奏をしたことも歴史上、重要なことでした。

主人公のバッハについては、生きている当時は、音楽家として社会的な権力の中に翻弄され理不尽な思いをたくさんした。それでも強靭な精神力と体力で何度も転んでは起き上がり、自分の音楽を貫いていく。決して経済的にも豊かではなったけれど2回の結婚で20人の子どもを授かり、後を継ぐ音楽家を何人も育てた。このあたりが人間臭く親近感をもって良く描かれていました。

(2023年9月)


マスク着けていたら安心?

 

 予定している発表会が一日一日と迫ってくる。

今年はほぼコロナ前の状態でホールが使用でき、来場者に対する細々とした気遣いもなく本当に有難いと思っている。もちろんマスク着用も個人に任されているのだから、ステージではマスクは外しましょう、と子どもたちに伝えたところ、なんとも微妙な反応。

ステージは広いし、ピアノを弾くときは一切おしゃべりしないから良いよね、と言っても、マスクが外せて嬉しい!という表情をする人はいませんでした。どちらかと言えば、外す抵抗感を窺わせる表情の子も複数いました。これが、小・中学生の現状なんです。

子ども達にとっての3年間はなんと長かっか・・・・人前では顔の半分近くを覆い、口元をあらわにすることがもはや気持ち悪いことのような意識が定着しているのです。

何に気持ち悪いと感じるのか。思いのひとつひとつを私達大人がまず受け入れて、本来人間としてあるべき姿を一緒に考えていく時間が必要なんだなと、心底思います。

口元を覆うマスクはどうやら人の心の目をも閉ざしてしまっているのではないか、という思いが杞憂におわることを願いつつ。(2023年4月)


未来の音を聴く

 

 5日後に本番をひかえ、これまで練習を重ね、レッスンで先生方に頂いた言葉や音楽のことを思いめぐらす。一生懸命弾いているけれど、その方向が全くずれていたり、必要のない動きをしていたり、聴くべき音が聴こえていないまま指だけが動いてたり。こうしてあげればキリがないほど課題があり、正しい意識を持ってやるべきことがたくさんある。

 今回の本番に向けて、7~8年も空いてしまいレッスンへ伺うにはハードルが高いなあと感じていた小池先生のところへ、勇気を持って通った。先生は変わらず私を温かく迎えてくださり、何といっても、小池先生が目の前でお弾きになる美しい音と生き生きと立ち上ってくるような音楽を体験できたことが、言葉にならないほどの感動だった。

レッスンでは演奏に3つの時間軸があるというお話がとても興味深かった。この3つとは、①音を弾く前②弾いている③弾いた後。そして何よりも大事なのは、①弾く前の時間。この時間では瞬時に弾こうとする音楽を思い浮かべている。どんなに速く細やかな音が連なってるとしても、それを楽譜から正確に読み取りイメージできているか。演奏中はそういう意識を持ち続け音楽の進むべきところへとつながっていく。未来の音を想像し続ける。

 この一週間、意識の向け方を変えて①を大事に弾いていたら、難しいと感じていたところ、弾けたり弾けなかったりのムラがあったところが、不思議なことに楽に弾けるようになってきた。この変化が小さな小さな喜びだ。誰がほめてくれるわけでないけれど・・・

今朝のジョギング中に聞いた鶯の声を味方に本番頑張ろう。

(2023年3月)


2023年始まりに

 

 いつもよりも長いこの冬休み。

私は家で家族と囲む食卓の準備をすることが日々の中心となる。しっかり食べる大人4人の量は、気持ち良いくらいに冷蔵庫の中が入れ替わっていくし、少し多めに作っておけばうまい具合に残り物も循環していく。特別でないシンプルな家庭料理は心も体も落ち着く。

ところで、この年末年始は我が家に受験生が一人いることもあって、何かと気を遣う冬休みでもあった。

実はこの子は中学生になって間もなくほとんど家でしゃべらなくなった。中学の保護者会に行けば先生方に「うちの子はどんな様子ですか?」と聞いて回るくらい、学校の生活を知りたくても本人から伝わることは無かった。ある先生に「長いトンネルに入ったのかもしれません。」と言われたことが印象深い。その子が、この休み中にトンネルの出口を見つけ、大きく成長をして出てきたのだ。トンネルを時間に表したら実に2年半。「おかえりなさい」と言いたいくらいの気持ちだった。

出てくる言葉の質、表現、そして声までもが二年半の間に変化していて、まるで遠くに暮らしていた人が帰ってきたような不思議な感覚。

新しい年の初め、子どもの成長していくエネルギーに深く想うひとときだった。

(2023年1月)